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この造り手の話を読めるだけでもこの本を買う価値がある! かどうか分かりませんが、やっぱりもっとワインを造って欲しかった!とは思いますね。 引き続き息子さんがいいワインを造っていると藤巻さんも言ってましたね。
Denis Mortet ドニ・モルテ 濃縮感に富んだ艶やかなワインで、ブルゴーニュでトップのつくり手たちの仲間入りを果たしたドメーヌは、2005年初め、ドニの死去という突然の不幸に見舞われた。現在は息子のアルノー――まだ20代後半だが、1997年からドメーヌを手伝い始め、その後もメオ=カミュゼやルフレーヴ、さらにオーストラリアで研修を積んだ――が母親のローランスとともにワインづくりに取り組む。 | |||
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11ヘクタール以上の地所からワインを生むが、グラン・クリュのシャンベルタン――広さは0.15ヘクタール、1983年からフェルマージュで生産を開始し、1999年よりドメーヌの所有となった――を頂点に、クロ・ド・ヴジョーと4銘柄のプルミエ・クリュ、それにヴィラージュ、レジオナルという内容だが、ジュヴレだけで8ヘクタールを超える面積がある。 ~ラックコーポレーション資料より~ | |||

ブルゴーニュ生産者②ジュヴレ・シャンベルタンの最近のブログ記事
濃い造り手ではあるが、なぜか昔から好きだったな~。濃いだけではない何かがある気はしていたものの、テロワールとワインの造り手たちを読んでその理由が、なんとなく分かった気がする(ホントか?)。
この本で彼の好きな言葉が紹介されいるのでこちらでも、、
『ほかのライオンのまねをしようとするライオンは、サルでしかない』
個人的には、この言葉より注釈に出てきたこの言葉の方にグッときた。
『神は水しか造らなかったが、人はワインを造った』
人がいなければテロワールは成り立たんって事ですね。
共にヴィクトル・ユゴーのお言葉です。
Bernard Dugat-Py ベルナール・デュガ・ピィ
濃密な果実味をバックボーンに備えながら、あくまでピノ・ノワール特有のエレガントさを体現しそれに個々のテロワールの差異が彩りを添える、といった具合のワインは、確かに現在のブルゴーニュで望みうる最上の1本。1975年の収穫からドメーヌに携わり、1989年のヴィンテージより元詰を開始したドメーヌ・デュガ=ピィの当主、ベルナールが生むワインである。
妻のジョスリーヌと息子のロイック――ひとり娘のマガリーもドメーヌに入った――で、10ヘクタール強の広さを切り盛りするが、畑は、殺虫剤や化学肥料の類は一切使用せず、日々こまめな手入れを必要とするビオロジークで耕作。1998年より開始し、2003年からは全ての地所でおこなうようになった。
ヘクタール当たり1万本前後というのが強い植栽密度だが、デュガ=ピィの場合、より多い本数が見られ、ジュヴレのプルミエ・クリュ、プティト・シャペルやシャンベルタンでは1万3000本という尋常ならざる密植。加えて樹齢は若くても20年から30年、ほとんどの銘柄はヴィエーユ・ヴィーニュの表示があり、それらのぶどう樹は50年から90年と常軌を逸した古さ。
ギュヨ・サンプルで仕立てられたヴィエーユ・ヴィーニュのぶどう樹は強い密植ときつい剪定に芽掻きから収量は自然と落ち、豊作の年でも30ヘクトリットルを超えることはない――エヴォセルにおいては2001年で19ヘクトリットル、1997年はたったの7ヘクトリットルだった――ため、ヴァンダンジュ・ヴェールトはほとんど必要としない。収穫は決して遅摘みはせず、総じてバン・ド・ヴァンダンジュより早く――当然、許可を得てだが――おこなっている。
畑においてしっかりとトリを付されたぶどうは、傷付きや潰れるのをふせぐため、数十センチ四方で深さは20センチ弱しかないキャリアーでカーヴに運ばれるが、その際はトラクターなどではなく保冷車のヴァンを使用。収穫されたぶどうを細心の注意を払って運搬することにかけては、このベルナールの右に出るものはいない。
つくりはキュヴェ、ミレジメにより異なり、フレキシブルな対応を見せる。除梗は基本的にしないが、ぶどうの熟し具合によっては半分ほどおこなう場合もある。イノックスのタンクは用いず、セメント槽と木桶で野生酵母によるアルコール発酵、ピジャージュ、ルモンタージュは必要最少限――2005年のシャンベルタンといくつかのキュヴェでは無し――にとどめる。果汁、ワインの移動にポンプは用いず、グラヴィティ・フローでおこない、余計な負荷を掛けない。新樽――焼きはごく軽いものを使用――はブルゴーニュACに2割前後、ジュヴレのヴィラージュで3分の1から3分の2――クール・ド・ロワは新樽のみ――の割合だが、それら以外は基本的に100パーセント使用。そして清澄、フィルターなしでの瓶詰めとなるが、その際SO2の使用は最低限にとどめている。
本拠地ジュヴレにはデュガ=ピィ独自の銘柄がある。ジュヴレ=シャンベルタンのクール・ド・ロワはリュー=ディの名ではなく、樹齢50年から90年になる古木を中心に、好立地にある区画をセレクションしたワインに付けた名称。ジュヴレ=シャンベルタン・プルミエ・クリュはフォントニー、コルボーそれにペリエール、の3区画のブレンドで樹齢の平均は50年。また2000年ヴィンテージからお目見えしたACブルゴーニュのキュヴェ・アリナールは、中身はれっきとしたジュヴレ=シャンベルタン。国道74号線の東側にある平坦な区画の樹齢30年未満のぶどう樹から、ドメーヌではデクラッセし、ACブルゴーニュとしてリリースしている。
2003年よりムルソーとポマールの生産を開始、さらに2004年のミレジメからはシャサーニュ=モンラッシェのプルミエ・クリュ、モルジョ、加えてジュヴレ=シャンベルタンにも数区画とドメーヌの規模も徐々に大きくなってはいるが、そのあまりに殺到する需要のため、ほとんど焼け石に水状態。
~ラックコーポレーション資料より~
しばらくは、テロワールとワインの造り手たちのネタが続きます。
この造り手、ちょっと(かなり?)変わっていると聞いていましたが、文章もなかなか面白い。
「アメリカ人は僕らにまでテクニカルワインを造らせようとしているが、これはまちがっている。ばかばかしいくらい大きなまちがいだ。アメリカは地球環境の最大の汚染者であるうえ、環境汚染をストップするために方向転換することにさえ二の足を踏んでいることを肝に銘じておこう。」
んー、何だかご立腹ですね(笑)。
ちゃんとテロワールの話もしてますので詳しくは本をご覧くださいませ。
"ブルゴーニュの巨匠・アンリ・ジャイエ氏も絶賛する、若き醸造家"
アンリ・ジャイエ氏に毎年新酒を利いてもらうが、果梗が多すぎると酷評が続く。ついに1990年、「やっとワイン造りがわかったな」と褒められる。
フィリップの父、アンドレは孤児でアリエール・コートで育てられた。
自分のドメーヌを持ちたいと、稼いだ金を一生懸命ためて少しずつ畑を買い取っていく。そうして集めた1.8haの畑を譲り受けたフィリップは、さらに素晴らしい畑を探し求め、現在は13.77haをも所有している。
1988年に、ラトゥール一族のマダム・ジョスリーヌ・バロンに人柄を見込まれ、ル・シャンベルタンを任されるようになる。ジュヴレイ村の古いセラーを買取り、名実ともにジュヴレイのドメーヌとなる。
数ヶ所に分かれた畑のそれぞれのテロワールを生かすことを十分に考えているため、仕込み方法は一様ではない。ゆっくりした発酵・熟成と澱によって、ピノ・ノワールの魅力を十分に引き出し、酸味が柔らかく果実味の濃いワインに仕上げている。
果実味にボリューム感があり、若いヴィンテージでも旨味があるが、もちろん長期熟成にも耐えられるワインである。
所在地 : ブルゴーニュ地方 ジュヴレイ・シャンベルタン村
栽培面積 : 13.77ha
葡萄品種 : ピノ・ノワール、シャルドネ
葡萄栽培 : 低収穫、厳しい選果
発酵前 : 長期冷温浸漬法 (約1週間、果実と果汁を漬ける)
発 酵 : 30℃以下で15-25日の長期間
~ヴァン・シュール・ヴァン資料より~
フィリップ・シャルロパンはコート・ド・ニュイにおけるモダンなワイン造りの先駆者。
1956年生まれのフィリップ・シャルロパンは、22歳のときに父アンドレから2ha弱の畑とドメーヌを引き継ぎワイン造りを始めました。マルサネ、フィサン、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボル・ミュジニー、ヴォーヌ・ロマネに17haの畑を持ち「シャンベルタン」「ボンヌ・マール」「エシェゾー」などなんと8つのグランクリュを醸造しています。
テロワールの型にはまらない、凝縮感がある筋肉質なワインを生産してきましたが、1997年以降からはよりエレガントなスタイルへシフトしてきています。また、フィリップ ・シャルロパンはピノ・ノワールの神様と呼ばれるアンリ・ジャイエから指導を受けていた一人で、ジャイエから愛弟子として可愛がられていたと言われています。当初、ワイン造りの途中でアンリ・ジャイエのアドバイスを常に聞きながらワインを造っていましたが、いつしかアドバイスを聞かずに出来上がったワインをただ持っていくようにな り、そのワインを飲んだアンリ・ジャイエに「まさに私が言いたかったように、そのとおりに造っているな」と言わせてしまうほどの実力をつけるようになりました。そのため、ワイン造りにおいては師であるジャイエの影響が色濃く見られます。
フィリップ・シャルロパンのモットーはあくまでも自然なワイン造り。
葡萄の栽培には除草剤と化学肥料は使用せず、殺虫剤代りにフェロモンカプセルを用いるリュット・レ ゾネ(減農薬農法)を採用。葡萄の樹齢は概ね高く、エシェゾーにいたっては樹齢70年にも及びます。完熟葡萄の収穫はもちろんのこと、厳しく選別した果実は除梗した後、一週間に及ぶ低温のマセラシオン発酵が行われます。培養酵母の使用と補酸は決して行わず、その後は瓶詰め直前まで澱引きせずに樽熟成されますが、新樽比率が高いこともそ の特徴として挙げられます。
若いうちは樽香が強く感じられますが熟成を経てワインのアロマと溶け込み、洗練された奥行きのある味わいに変化します。果実味とアロマに溢れ、精妙なフィネスを備えた 確固たるシャルロパンのスタイルはブルゴーニュの最高峰の一つといえるでしょう。
~エノテカ資料より~
『アルマン・ルソーよりフーリエに行きたいと言った方は石井さんが初めてですよ!』
とK氏に言われた事が懐かしい。
今だから言えますが、本当は両方行きたかったんですよね~(笑)。
いまだに好きですし、ルソーに行けなかった事は後悔してません(本当に)!
近々カボットで彼のプルミエをくらべる会をやりますのでご興味のある方はぜひ!
ドメーヌ・フーリエ Domaine Fourrier
本拠地 : ジュヴレイ・シャンベルタン村
代表者 : ジャン=マリー・フーリエ
生産量 : 約50,000本
所有畑 : 計9ha
グリオット・シャンベルタン 0.6ha 樹齢74年
ジュヴレイ・シャンベルタン クロ・サン・ジャック 0.89ha 樹齢92年
他、ジュヴレイ・シャンベルタン村、モレ・サン・ドニ村、シャンボール・ミュジニ村などに所有。
<ワイナリーの歴史>
現在の当主は71年生まれの若き情熱家ジャン=マリー・フーリエ氏。5代目にあたります。3代目がピジャージュ中に事故死したあと、4代目のジャン=クロード氏は67年、14歳の若さで大叔父フェルナン=ペルノ氏の手助けのもとワイン造りを始めました。当時のドメーヌ名はペルノ=フーリエ。81年にペルノ氏が死去し、ドメーヌは「ジャン=クロード・フーリエ」と改称。ジャン=クロード氏は「醸造するには早いうちからたくさん経験を積むのがいい」と、94年に50歳の若さで引退し、息子のジャン=マリー氏が当主となった今は「ドメーヌ・フーリエ」という看板を掲げています。
<特 徴>
23歳までに学校、アンリ・ジャイエ、父、ドメーヌ・ドルーアン(米国)と、ワイン造りを学びましたが「その誰の真似でもない、自分だけのワイン造り、哲学がある」とこだわりを持っています。テロワールと高貴な葡萄品種ピノ・ノワールの純正さを表現することに努め、自ら「テロワリスト」(テロワール至上主義者の造語)と名乗り、醸造にテクニックを求めず、自然を支配することを好みません。高度な技術に頼らず自然に任せていた20世紀初頭のヴィニュロンの流儀を再現を目指しています。
<ワイン造り>
リュット・レゾネで栽培され、霜や雹の被害にあわないときでやっと40hl/haに達するという低収量を守っています。選果台を使用せず樹上での選別に力を入れ、100%除梗し半分だけ破砕しています。人工的な低温浸漬はせず、朝の収穫時の温度で浸漬され、自然に任せて醗酵。空圧式プレス機で圧搾し、24時間静置してデブルバージュ。新樽比率は、グラン・クリュでも村名でも、20%しか使用しません。18ヶ月の熟成中、澱引きは行われず、清澄もフィルターも一切行われていません。
~豊通食料資料より~
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ワインナビで、twitter始めました。 良かったらのぞいてみてください。 滞っているブルゴーニュ生産者、一気に行きます。
ドメーヌ・アラン・ビュルゲ Domaine Alain Burguetブルゴーニュにおける有機栽培の先駆者父親より独立開業した、元祖叩き上げ自然派ヴィニュロン |
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借りる形で独立。この畑は後に買い取り、その後、相続や購入などで畑を広げ、現在に至る。 設立当初より有機栽培に取り組むなど、ブルゴーニュにおける自然派の先駆け的存在。 摘芽・摘房はブドウ本来の生態系を崩すとして行わず、収穫時の選果作業を厳密にすることで 完熟した健全なブドウを獲得している。樹齢60年を超えるヴィエイユ・ヴィーニュの収穫量は 25~30hlまでになり、選果作業の厳しさを物語っている。収穫されたブドウは、100%の除梗後に ごく軽い破砕を行い、発酵は自然に始まるのに任せる。熟成期間はACブルゴーニュで12~18ヶ月、 村名及び1級で20~22ヶ月、VVが最高24ヶ月に及ぶ。 グラン・クリュを持たないため派手さはないが、ムルソーのコシュ・デュリなどと並んでトロワグロや タイユヴァンなど3ッ星のシェフ・セレクションにジュヴレイ代表で選ばれるほどで、その品質は 疑う余地もない。 ~ヴァンパッション資料より~ |
東急本店の藤巻さん曰く、『基本のワイン』アルマン・ルソー。
現在、ラック・コーポレーションさんとヴァン・パッションさんが正規インポーター。
変わらず高い水準で安定したワインはその滑らかな飲み口とバランスで他の追随を許さない
総面積14ヘクタールを数えるドメーヌは、半分以上の8ヘクタール強を6銘柄に上るグラン・クリュが占め、残りもプルミエ・クリュが3ヘクタールと、所有する区画のクオリティの高さは他に例を見ない。また植えられているぶどうの樹齢――多くのクリマで第二次大戦前の植え付けが見られ、クロ・サン=ジャックにいたっては1924年というぶどう樹も植わる――も特筆に価する。
名称にもなっている初代アルマンがジュヴレの村にドメーヌを設立したのは1909年。その後10年ほどの間にシャルムからクロ・ド・ラ・ロシュ、シャンベルタンなど、グラン・クリュを次々に購入。さらに1930年代にはニュイのアンリ・グージュ、ヴォルネーのアンジェルヴィーユなどとともに元詰めを開始、栽培から瓶詰めまでおこなうドメーヌものの先駆けとなる。
1959年にドメーヌを継いで以来今日まで、酒質の向上と区画の拡大に尽力したシャルル――ドメーヌの顔として今でも健在――の後を、長男エリックが率いる。50代となるエリックがドメーヌを引き継いだのは1990年、対外的にはシャルルがドメーヌのスポークスマンとして振舞ってきたが、実際の畑仕事、つくりは、ディジョン大学で醸造学のディプロムも取得しているエリックが20年にわたっておこなってきた。
エリックの持論は「ワインの8割はぶどうで決まってしまう」というもので、日頃は畑での作業に余念がない。ヘクタール当たり11000本と強い密植で栽培されているドメーヌでは、2004年以降、シャンベルタンの区画は馬での耕作をおこなうようになった。新たな地所の購入などは今のところ見られないものの、エリックが継いでから、発酵槽をイノックスに変更、さらにカーヴの増設やピジャージュ・システムの導入、空調施設の完備など、常に細部の刷新を怠らない。
果汁、ワインの移動はグラヴィティ・フローでおこなわれるカーヴでは、100パーセントの除梗はせず、1割ほどの茎は残す。イノックスのタンクでのアルコール発酵の際は、ピジャージュとルモンタージュを併用。樽に移してからのマロ=ラクティーク発酵もバクテリアを添加せずに自然に終了させる。その際、シャンベルタンとクロ・ド・ベーズ、それにクロ・サン=ジャックは全てアリエ産の新樽で熟成されるが、他にあてがうのは基本的にリュショットのみ――割合はミレジムで異なり、2割前後――。他のグラン・クリュとプルミエ・クリュにヴィラージュは1アキ樽から3アキ樽を用い、期間は20ヵ月前後。
出来上がるワインはリリース直後でさえ、滑らか口当たりとバランスのよさが堪能できる素晴らしいもの。テロワールの異なりもしっかりと感じ取れるワインながら、ミレジム毎の出来、不出来はあまり見られないという、ある意味理想と言っていいワイン。地元ジュヴレのみならず、ブルゴーニュ、さらには世界各地の多くのピノ・ノワールのつくり手たちの指標ともなっている。
2006年のクロ・ド・ベーズはヴァンダンジュ・ヴェールトの翌日に雹の被害を受けたため、収量は平年の半分以下であるヘクタール当たり15ヘクトリットルという非常に低い数字まで落ちた。そのため例年シャンベルタンに較べ柔らかな風味と味わいに仕上がるクロ・ド・ベーズだが、より凝縮感とパワーに満ちたワインとなった。
~ラック・コーポレーション資料より~
シグナチュール・ド・ジュヴレイ・シャンベルタン...
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18世紀初頭、心無いネゴシアンによって不正なブレンドが横行しており、商慣習上タブー視されていた元詰をアルマン・ルソー氏がダンジェルヴィル、グージュ、グリヴォらと組織を結成して1915年頃に実現。ネゴシアンに樽で売るのをいち早く止めてブルゴーニュワインの品質向上に大きな貢献をした。2代目のシャルル氏は、1959年当時には6haだった所有畑を14haまで拡大。所有面積の半分以上の8haをグラン・クリュが占める。 醸造や栽培の実務はすでに10年以上前から息子のエリック氏に譲っており、本人は来客を案内するドメーヌの顔として元気に活躍中。ドメーヌ・アルマン・ルソーにとってワイン造りとは、「こちらがアペラシオンの特徴を表現するものではなく、土壌の方から語りかけてくるものである」という。その言葉を体現するかのように、土壌本来の力に任せるため20年前から肥料を使用していない。 数年前よりリュット・レゾネに切り替え農薬もボルドー液や硫黄など昔から伝わるものを選ぶ。収量は毎年行なう摘芽と摘房で25~35hl/kaに抑える。新樽率は35%から、100%新樽のシャンベルタン、クロ・ド・ベーズ、クロ・サン・ジャックまで、格付にとらわれずワインの特徴によって使い分ける。 ~ヴァン・パッション資料より~ 所有畑 |


当主のアラン・ビュルゲ氏は、10年間実家の父親の下で働き、定年退職したブドウ栽培家から畑を
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